植野さんが紹介するのは「天津丼」。荒川区・三河島にある町中華「中華料理 勝楽」を訪れ、ズワイガニの身をトロトロな半熟卵のベールで包んだ美しい一品を紹介。
味の決め手となる、いろいろな料理に使える自慢の甘酢あんも伝授する。
繊維業者集う街・三河島の町中華
訪れたのは東京荒川区・三河島の町中華「勝楽」。
大正初期に浅草方面で営業していた繊維業者が、まだ閑散としていた日暮里、三河島に集団移動。
以後、さらに多くの業者が集まり、現在約90店舗が営業、ファッションや手芸の材料を探す人たちで賑わっている。
「三河島は、東京都で最も古いコリアンタウンがあると言われていて、ここら辺はずっと韓国料理店や韓国の食材のお店、さらに最近だと韓国以外の方も住んでるということで、非常にインターナショナルな町になっています」と植野さん。
常連に支えられる家族経営店
三河島駅から徒歩10分、住宅街の中で約50年に渡って親しまれているのが町中華「勝楽」だ。
昭和の雰囲気を色濃く残した店内は、カウンター席だけでなくテーブル席も充実している。

お昼時には地元で働く方達や、住民たちが数多く訪れ、厨房はフル回転。

客に支えられ、今も変わらずお店に立つのが、初代の定勝さん83歳と、その妻、節子さん。そして、2代目となる勝弘さんとみやこさんの夫婦。
カウンターの中で働く親子4人の姿が時に微笑ましく、家族経営ならではのあたたかさが感じられる。
4人の阿吽の呼吸で支え合う
勝弘さんの父、定勝さんは新潟県出身。中学卒業と同時に今も東京の北千住にある「ビックリヤ」に就職。
飲食業から不動産まで、幅広く手掛ける「ビックリヤ」で定勝さんは、さまざまな職種を体験。独立を見据え、パワフルに働き、お金を貯め、28歳の時に節子さんと結婚する。
その際、喫茶店でもやろうかと料理の勉強もしていたところ、「借りられる物件が元中華料理か…よし!じゃあそのまま俺も中華料理店を始めよう!」と定勝さんは決意。

こうして三河島で勝楽を開店。5年後の1980年、現在の場所に住居と店舗を併せ持ったビルを建築し、移転した。
開店の年に生まれた勝弘さん。近隣の勤め人や住民の方々が数多く訪れ、店は大繁盛した。しかし、親子で過ごす時間はほとんどなかったため、幼い頃の写真は2枚しかないという。
そして、2002年に勝弘さんはみやこさんと結婚。以来家族4人で、日々訪れる多くの客の注文に応えている。
そこで気になるのが、4人それぞれの役割分担だ。

勝弘さんは「基本的に僕が麺料理と炒め物を作ることが多くて、お父さんがチャーハンなどの煽りもの。妻が接客、お母さんが洗い物と材料の準備をしています」と話すが、定勝さんや節子さんは「なんでもやる」とのこと。
阿吽の呼吸でお互いを支え合いながら働く、それが家族経営の強みなのかもしれない。
常連客のおかげで、集客には苦労しないが、期待を裏切るようなことはできない。「味を守る」ことが、2代目にとって大事なことだと勝弘さんはいう。
こうして日々試行錯誤しながら、家族4人で勝楽を守っているのだ。

本日のお目当て、勝楽の「天津丼」。
一口食べた植野さんは「卵のやさしい甘みとうまみが甘酢の軽やかな甘みと酸味に包まれてとても幸せになるような味」と称賛。
中華料理 勝楽「天津丼」のレシピを紹介する。
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