お金を払って食べるプロの料理と無償の家庭料理は別ものである——。料理研究家の土井善晴さんは、「レストランで食べるような料理を家で食べたい」という過剰な要求から家庭料理という文化を守るために原点に戻り、「一汁一菜」に行きついたという。
ここでは、土井さんが新潮社の月刊誌「波」で連載していた「おいしく、生きる。」を土台にまとめた一冊『一汁一菜でよいと至るまで』より一部を抜粋。かつて家庭料理を下に見ていた土井さんが、自らの“場違いな思い込み”に気づくまでを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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「なんで私が家庭料理やねん」
「味𠮷兆」での修業を終えて、父(編注:料理研究家・土井勝さん)料理学校に戻ってきた頃の私の気持ちを一言で言えばこれです。
「なんで私が家庭料理やねん」
1986(昭和61)年、30歳の頃です。世間には、プロの料理より家庭料理を軽んじる風潮があり、私自身、味𠮷兆で日本一の仕事をしてきたという自負があってか、父の仕事であった家庭料理を下に見るようになっていました。今思えば恥ずかしい。
とはいえ父の料理学校は、生まれる前からあたり前にあったものです。それを、だれよりも何よりも大切に感じ、いつか自分は料理の先生になると疑いませんでした。生徒が少なくなって左前の料理学校をなんとかしたいという強い気持ちがありました。
料理学校に戻って、とりあえず自分ができる仕事に着手しました。当初は、味𠮷兆時代に毎日書き取ったノートの整理と、教室の掃除ばかりしていたように思います。料理人の仕事に傾倒していた私の心を見透かしてか、父はそれまで以上に「家庭料理が大切です」と繰り返し語るようになっていました。それが私へのあてつけに聞こえて仕方がなかったのです。
私の方は、味𠮷兆の仕事で身についていた習慣で、どこにいてもにおいや汚れが気になりました。仕事を始めるとなると、まな板、バットやボウル、鍋、となんでもかんでも道具のにおいを嗅いで確認していました。
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