令和4年7月19日
在ロサンゼルス日本国総領事館で公邸料理人を務める美馬剛志(みま たけし)さんは、その土地に根ざす姓が表すとおり、四国は徳島県の出身です。「うだつが上がらない」という形容に使われることでつとに有名になった建築様式「うだつ」の上がる建物が並ぶ徳島県美馬市美馬町の歴史的景観の通りは、水戸黄門のロケにも使われるのだとか。吉野川の下流域に位置する日本の原風景で、美馬少年は育ちました。
調理師専門学校を卒業した若かりしシェフの卵は、創業450年という京都でも指折りの老舗料亭・瓢亭で和食の修行を始めます。実はこの時期に既に、海外を目指すきっかけが芽生えたといいます。フランス、アメリカ、ブラジル、タイ、台湾、韓国など様々な国の料理人を研修生として迎え、共に修行する中で、日本と異なる考え方、海外ならではの食材、気候風土など耳からのインプットが日々蓄積していくのでした。
和食の基礎を叩き込まれると、先輩の紹介で公邸料理人の道が拓けました。早速にも応募をした美馬シェフを待っていたのは「どのような国に行きたいか?」という派遣元からの質問。治安や居住スペースといった一般的なことはさておき、「とにかく忙しいところ」という希望を提示したところ、すぐにLA行きが決まるのでした。令和元年夏のことです。実際、目が回るほど忙しい職場だと解るまでに時間はかかりませんでした。
在留邦人が世界で一番多く住み暮らし、数え切れないほどの日本レストランがひしめくロサンゼルスで、「一流の和食シェフ」という評判を獲得するのがどれほど難しいか、容易に想像いただけると思います。そんな美馬シェフの活躍を支えるのは、プロの料理人としての飽くなき探究心なのでしょう。
何はともあれ、先ずは英語の勉強です。ところが、先述したとおり、食材店をはじめ日系企業が多く、日本語が通じてしまう局面が余りにも多いため、それに任せていたのでは英語が全く身につきません。市場はおろかスーパーのレジで話しかけられてもほぼ理解できない、単語は分かっているのに聞き取れない、言い返すことなど到底できません。
シェフの英語勉強法は、アメリカ英語特有の前後の単語の音が繋がる発音に耳が慣れるまでYouTubeなどの動画を何度でも繰り返し聴き続ける、会話でよく使われる慣用句などの言い回しをノートに書き出す、今まで日本語でやり取りしていた現地の友人と英語のみのやり取りに変えてみる、英文のメールやレストランの電話予約にチャレンジする、といった徹底ぶり。努力の甲斐あって、市場での買い物、レストランや旅行で言葉のハードルが随分と下がったと述懐していますので、きっと素質はあったのでしょう(とはいえ、ちょっと緊張する電話の前には、今でもこっそりYouTubeで予習していると打ち明けてもくれています)。
美馬シェフの調理における最大のテーマは、「ゲストを知り嗜好に的確に応える」ことと、「日本料理の枠に捉われ過ぎずローカルの食材を美味しい日本料理に昇華する」ことの二つです。
ゲストの下調べは、まずはホストたる私(総領事)がゲストについて把握していることをシェフと共有することから始めます。宗教上の忌避やアレルギーといった基本事項だけでなく、ゲストがどの程度日本に親和性があり、日本料理を食べ慣れているか。ただ、初めて食事を共にするゲストである場合、そのような予備知識がほとんどない場合も少なくありません。オバマ政権下で要職を務めたこともある人物を初めて公邸にお招きした際、おそらく日本食は食べ慣れていないだろうというヒントしか与えることができませんでした。それを受けたシェフは、インターネットを駆使してゲストの出身地やご両親の出身地までを調べ上げ、料理の中に郷土の食材をさりげなく織り交ぜるのです。まさにプロの仕業です。さらに、ネットで過去のとあるインタビュー記事に行き着くと、ゲストの好きな食べ物がBlueberry Cobbler(パイ状の焼き菓子)だとする記述に行き着いたシェフは、デザートにそれを心持ち和風にアレンジして提供したのです。ゲストがいたく感激され、当館の「インテリジェンス」に舌を巻かれたのは言うまでもありません。
これはあくまで一例に過ぎませんが、美馬シェフの手にかかった料理には、彼自身がアメリカのレストランで初めて体験した食材や、今までは思いもつかなかった調理法があれば、それを日本料理で真似てみる、貪欲に自分の料理に取り入れてみるといった工夫とチャレンジ精神を常に感じ取ることができるのです。
もう一つ、館長としての嬉しい誤算は、美馬シェフがワイン・ソムリエの資格を持っていたことです。シェフによれば、ワインの知識と関心が世界各国の気候や文化に直結し、いつか自分も海外で働いてみたいという動機を育むことになったそうです。また、カリフォルニア・ワインの中でも高級な評価を得ているナパ・バレーを中心に、実際に幾つものワイナリーを訪ね、生産者から色々な話を聞く、施設を見学する、そして、作り手の考え次第で全く違うものが出来上がることなどを知ったそうです。
本人曰く「特にナパの北部カリストガにある小さなワイナリー“Phifer Pavitt”が個人的に一番好きですが、そのワイナリーは、赤ワインはしっかりとしたものを作るため比較的日照量が多く暑めのカリストガで黒葡萄を作り、白ワインはフランスのサンセールのような上品さを出したいためナパ南部カーネロスに白葡萄の畑を持っているそうです。ナパ南部はサンフランシスコ湾から吹く海風の影響で涼しいのです。アメリカに来るまではカリフォルニア・ワインといえば力強いものばかりの印象でしたが、実際は繊細で上品なワインも数多く作られており、ワイナリーごとに色々なこだわりを持っていることが分かったのは自分にとって大切な経験です。」とのこと。
どうでしょう。ソムリエとしてのレベルアップも実現してしまった和の料理人。正直、最強です。美馬シェフがソムリエであることを聞きつけた地元コミュニティは早速、ワインと和食のペアリングの品評会を企画、厳選されたゲストを対象に地元ワインの特長を生かした和食を懐石料理として提供しましたが、美馬シェフの英語による解説が秀逸で、記憶に残る最高の食事会になりました。
在ロサンゼルス日本国総領事館
総領事 武藤 顕
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